
自然界では、当然のことながら自然の循環が完成されており、自然の恵みはその中から生まれてきます。現代の第一次産業における問題である環境負荷は、自然界の全体像が見えていないことが大きな原因の一つであるということはあまり知られていないかもしれません。
『アクアポニックス』とは、1970年代にアメリカで生まれた、淡水養殖と水耕栽培を組み合わせた農法のこと。いわば小さな自然界を作って循環を発生させることで、魚の養殖と野菜栽培の両方を可能にするシステムです。
自然と同じ仕組みであるこのシステムを導入すれば、最小限の負荷で農業と養殖を行うことができることから、第一次産業の問題を解決する一つの方法としても注目を集めています。
今回は、生産性と環境配慮の両立ができる持続可能な農業として世界で広がりを見せているアクアポニックスの仕組みや、アクアポニックスを推進する「湘南アクポニ農場」の活動についてご紹介します。
アクアポニックスのシステムとは?

「アクアポニックス」とは、野菜と魚を一緒に育てる食料生産技術。「アクアカルチャー(養殖)」と「ハイロドポニクス(水耕栽培)」を組み合わせた造語です。
魚のいる水槽から上部のプランターに水を吸い上げ、水中に含まれる魚の排泄物を土(ハイドロボール)にいる微生物が分解し、植物の栄養に。その植物が浄化した水が再び水槽に戻るという単純な仕組みで、魚と野菜を同時に育てることができます。
魚の排泄物は、いわば栄養豊富な天然の肥料。必要になるのは、魚の餌だけです。
重要なのはバクテリア

アクアポニックスの主人公は一見すると魚と植物ですが、実は目に見えない微生物が非常に重要な役割を担っています。このバクテリアが魚の排泄物を食べて分解して植物の肥料に変え、植物がそれを吸収することで水がきれいになり、水槽の環境が良くなります。
動物のフンなどを土の中のバクテリアが分解して、それを植物が吸収する。アクアポニックスは、自然界で当たり前に行われているこの仕組みをそのまま水槽に置き換えたものですが、いかにバクテリアが重要な働きをしているかを目の当たりにすることができます。
人の役割は循環バランスを整えること

(丸い粒がハイドロボール。 湘南アクポニ農場 HPより)
アクアポニックスで重要なのは、バクテリアが住みやすい環境を整えることと、魚・微生物・植物の3者が生態系をつくりバランスよく循環する仕組みを整えること。
バクテリアの住処としては、表面積が広い多孔質のものが向いています。小規模菜園ではハイドロボールなどの培地を利用することが多いそう。
循環バランスを整えて、アクアポニックスを機能させるためには、以下の項目についての、選択・設計・調整がポイントになります。
- 野菜ベッド、魚タンク、フィルター
- 魚のエサ
- 温度、pH、溶存酸素量
- ポンプと配管
もともとアクアポニックスは自然の循環そのものをつくり出すものなので、環境さえ整えば人間が手を加えなくてもそのバランスはできてきますが、安定供給を考えると「どんな条件で」「何をすれば」「どのような結果が野菜や魚に出るか」を早く正しく把握することが重要になります。
アクアポニックスのメリット

アクアポニックスの最大のメリットは、何といっても環境への負荷が小さいことにあります。
アクアポニックスは効率の良い生産方法かというとそうではなく、植物工場や水産養殖に比べると生産性は劣ります。しかし、深刻な環境問題を抱えている私たちにとっては、注目すべき点が多いと言えます。
アクアポニックスの主なメリットは、以下の4つ。
- 少ない水で生産可能
- 化学肥料を使用しない
- 海洋資源の回復に繫がる可能性がある
- フードマイレージの削減
少ない水で生産可能
現在、世界規模で淡水が不足していますが、実は水の消費量の約7割は農業だということをご存じでしょうか?アクアポニックスは、通常の農業の10%程度しか水を使用しないので、水問題の解決に貢献できることが期待されています。
化学肥料を使用しない
アクアポニックスは肥料に頼らず農業ができるので、環境に負荷を与えないという大きなメリットがあります。土の上で行う従来の農業は、与えた肥料の多くが地面に浸透して環境に作用してしまいますが、アクアポニックスではそれが起きません。
海洋資源の回復に繫がる可能性がある
魚について言えば、近海資源は枯渇状態にあると言えますが、アクアポニックスによる養殖の魚を多く食べることで、海洋資源の回復に繫がる可能性があります。
また、現在、海の魚にはマイクロプラスチックが蓄積されていると言われています。アクアポニックスによる養殖であれば、健康に害を与える可能性が低い魚が供給できるというのもメリットの一つでしょう。
フードマイレージの削減
アクアポニックスは野菜も魚も小さなスペースで生産できるので、さまざまな場所で実現可能。よって、フードマイレージも削減することができます。
効率だけを考えると従来の方法に軍配が上がりますが、環境負荷や安心・安全のコストを考慮すると、アクアポニックスを普及させていくことが地球の未来にとって必要な選択であると言えるのではないでしょうか。
「湘南アクポニ農場」はアクアポニックスの試験場

(出典:湘南アクポニ農場 HPより)
『湘南アクポニ農場』は、2021年2月に神奈川県湘南市に開設された、いわばアクアポニックスの試験場。条件を変えた状態で栽培した植物や育てた魚、水質などのデータを取るために運営されており、実際に導入してみたいという事業者や、アクアポニックスのデータを分析したいという研究者などが日々見学に訪れています。
『湘南アクポニ農場』は試験場としてスタートしたばかり。異なる条件でさまざまな試験を重ねながら、アクアポニックスで大切な、魚、微生物、植物がバランス良く循環する仕組みを整えるという課題に取り組んでいます。
また、アクポニ農場では、従来的な環境データ以外にも誰が何をしたかの作業データも細かく記録できるオリジナルのアプリの開発もするなど、日本で広めていくためのさまざまな研究も行われています。
アクアポニックスの3つの栽培方法
アクアポニックスには3つの栽培方法があり、用途、植物品種、外部環境に合わせて選びます。

(出典:湘南アクポニ農場 HPより)
NFT…薄膜水耕。樋やパイプ内に水を流して植物を栽培する方法。
DWC…潅液水耕。水槽に浮かべた水耕パネルの上で植物を栽培する方法。
F&D…礫耕栽培。培地を敷きつめた栽培槽にオートサイフォンを付けて植物を栽培する
一般的に、大型の商業用農場にはDWCやNFTを採用します。一方、家庭菜園などの小規模菜園では、ハイドロボールなどの培地を利用したF&Dを採用します。
育てられる魚や野菜の種類

(出典:湘南アクポニ農場 HPより)
アクアポニックスでは、リーフレタスなどの葉物野菜やハーブ類を中心に、トマト・イチゴ・メロンなどの果菜類、バナナ・パパイヤなどの果樹やエディブルフラワーまでさまざまな種類の植物を育てることができます。
一方育てられる魚は、イズミダイ・チョウザメ・ホンモロコなどの食用淡水魚が中心。観賞魚では、錦鯉、金魚、熱帯魚なども育てることが可能です。また、海水魚やオニテナガエビでも試験中とのことなので、近い将来育てられるようになるかもしれません。
アクアポニックスのさまざまな可能性
アクアポニックスのさまざまな可能性
日本では、まだアクアポニックスは全くと言っていいほど認知されていません。それは産業としての可能性が低いということなのでしょうか?
いくつもの大きなアクアポニックス農場があるというハワイでは、例えばレタス4万株、ティラピア2,000匹、電力は太陽光で自給しているというような農場が実在し、産業として成り立っています。特別アクアポニックスの野菜が多く流通しているというわけではありませんが、ハワイでは認知度が高く健康に良いという知識が浸透しており、生産された野菜や魚に付加価値がつくためビジネスとして成立しやすいのです。
日本でもこのようなビジネスモデルを成立させるためには、教育と普及が必要だと考えられます。
エンターテインメント性が鍵になる

(出典:湘南アクポニ農場 HPより)
アクアポニックスは、プランター程度の大きさから始められるのが一つの特徴。企業だけでなく個人でも導入しやすく、小規模なものであれば子供でも理解できます。
このような特性を活かし、家庭や学校に向けてのキット販売や、会社などの屋上や介護施設などへの設置など、さまざまな販路が考えられるはず。ただ野菜や魚の生産現場であるというだけでなく、人々が自然循環を知るための学びの場にも、それに触れてリラックスする癒しの場にもなるというのが大きなポイントなのです。
さらに、自然本来の循環を利用したシステムが視覚的にわかりやすく、その場所がSDDsの理念に賛同していることも伝えられるというメリットもあります。
ブランディングも必要
アクアポニックス産の野菜のブランド化というのも重要なポイント。
「環境負荷が少なく、農薬や化学肥料を必要としないアクアポニックスで作られた野菜は、安心安全で社会的価値も高い」ということを認知してもらうことで、それに見合った価格で販売することが可能になります。野菜に付加価値がついて「正当な値段」で取り引きすることができれば、ビジネスとしても成立し、アクアポニックスの普及に繫がります。
日本の野菜市場は同じ規格、同じ品質、できるだけ低価格という消費欲に基づいて動いており、大規模農業や長距離輸送などによるエネルギー消費が問題になっています。一部では有機野菜の価値は認められつつあるものの、単価の高い有機野菜の生産者の立場は恵まれているとは言えません。まずはこのような野菜市場のシステム自体の見直しも必要であると言えるでしょう。
産業としてのアクアポニックスは地球を救うかもしれない

(出典:湘南アクポニ農場 HPより)
アメリカでは、メンタルヘルス向上のためにアクアポニックスをオフィスに導入したり、小中学校の教育現場で使おうという動きが出始めています。日本でも、まず身近なところに浸透させて認知度を高めることが優先されるべきでしょう。
産業として考えると、少ない環境負荷で食料を生産することができるアクアポニックスは、持続可能な農業・漁業のヒントになることは間違いありません。もちろん自然界のシステムを取り入れた人工的な仕組みではありますが、動物と植物とバクテリアが営む生態系を利用するこのシステムには、これまでの食料生産とは異なる大きな意味が存在します。
さらにアクアポニックスは農業のIoTやAIとも相性が良いという一面があり、技術者が活躍できる舞台となる可能性も。また、生産したものの価値を伝えながら直売したりその場で調理するなど、小さいコミュニティだからこそできるさまざまな循環モデルも考えられます。
自然界の循環システムに人の叡智が加わることによって、自然と人間が生かし合う繫がりが生まれる。持続可能な生産技術であるアクアポニックスは、未来の地球と人間を救う有効な手段の一つになるかもしれません。