アフリカのリアルから考える「ごみとの向き合い方」2.0

Part1
アフリカのリアルから考える「ごみとの向き合い⽅」2.0
~アフリカでビジネスをする銅冶さんが見たリアル」
Part2
アフリカのリアルから考える「ごみとの向き合い⽅」2.0
~現地側と先進国側にまたがる認識の谷~
Part3
アフリカのリアルから考える「ごみとの向き合い⽅」2.0
ごみを捨てるという概念がない社会~
Part4
アフリカのリアルから考える「ごみとの向き合い⽅」2.0
~アフリカのごみ問題に挑む第一歩とは~
Part5
アフリカのリアルから考える「ごみとの向き合い⽅」2.0
~アフリカのごみ問題にワクチンはあるのか?:先進国側の課題~
Part6
アフリカのリアルから考える「ごみとの向き合い⽅」2.0
~アフリカのごみ問題にワクチンはあるのか?:途上国側の課題~

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私たちが捨てたごみは最終的にどうなっているのか────。

日本をはじめとした、いわゆる「先進国」から出たごみが最終的に行き着くのは「発展途上国」「新興国」と位置付けられる国々だ。

なぜ、それらの国にごみが集まるのか。
そして、集まったごみはそこでどのように処理されているのか。

そこには「リサイクルに出せば貧しい人々の役に立っている」と思い込んでいる日本人には想像もつかないような「リアル」が存在した。

アフリカを救うべくNPOとビジネスの両輪で活動し相乗効果を目指す銅冶勇人さん(認定特定非営利活動法人Doooooooo(ドゥ) 代表 / 株式会社DOYA代表取締役社長)に、我々が知らないアフリカの現状についてお話を伺った。

東京ドーム30個分のごみ山

新井 今回は「アフリカのリアルから考えるゴミとの向き合い方2.0」というテーマでお話を伺います。

早速ですが銅冶さん、アフリカに関わるようになったきっかけを教えていただけますか?

銅冶 きっかけは大学の卒業旅行です。

「二度と行かない場所で二度とできない経験をしよう」という想いから、ケニアのマサイ族の村へホームステイに行きました。

そのときに「キベラ・スラム」というアフリカで2番目に大きいスラムを訪れたのですが、そこには今までの自分の「当たり前」がひとつもなく、凄まじいほどに劣悪な環境でした。

その状況を目にしてからというもの、「どうしたらこの問題を解決していけていけるだろうか」と考え続けるようになりました。

その後、会社員として働いている間にNPO法人を立ち上げたのですが、紆余曲折あって会社をやめて独立し、今に至っています。

Guest:銅冶 勇人(どうや ゆうと) / 株式会社DOYA 代表取締役社長 
1985年東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部を卒業。2008年、ゴールドマン・サックス証券に入社。2010年にNPO法人Doooooooo(ドゥ)を設立。2015年にゴールドマン・サックスを退社。同年、株式会社DOYAを設立、アパレルブランド「CLOUDY」を立ち上げ。NPO法人と株式会社の両利きの事業展開によりアフリカに数多くのアクションを生み出す。

新井 素晴らしい行動力ですね。

ところで、アフリカなどの貧しい国々に先進国からのしわ寄せが及んでいるという話を耳にするのですが、実際にアフリカで事業をしている中で「ゴミの押し付け問題」について何か思うところはありますか。

銅冶 はい、おおいにあります。

私が活動しているガーナには「アクラ」という都市があるのですが、そこには東京ドーム30個分を超える広さの「ごみの山」があります。

その山を構成するごみの多くは、先進国から送られてきたものです。

そこに隣接する村には20万人くらいの人々が住んでおり、まさに「ゴミと一緒に暮らしている地域」と言っても過言ではありません。

新井 住んでいる方々は、なぜ「ごみの山」のそばで暮らしているのですか?

銅冶 そこからお金になるものをピックアップし、修理したりすることで生活の糧にしているのです。

そこでは子供たちも貴重な労働力として働いているのですが、電子機器の接触事故などにより作業中に亡くなってしまうといった痛ましい事故も頻発しています。

新井 そこには日本からのごみも辿り着いているのですか?

銅冶 はい、日本から送られてきた自転車などは目立つのでよく見かけます。

それらには見慣れた防犯登録シールが貼られていたり、日本人の名前が書かれたりしており、日本からのごみがアフリカに悪影響を及ぼしている間違いのない証拠になっています。

あなたが寄付した洋服は、アフリカでごみになっている

新井 少し前に、先進国から送られた洋服が現地でごみとして捨てられている動画がBBCで放送され話題になりました。

古着の輸出や寄付についてはどう思われますか?

銅冶 ほとんどの方は善意で行っていることなので本当に難しい問題なのですが、洋服の寄附といった先進国の優しさがアフリカを苦しめているという側面について、言及しないわけにはいきません。

そもそも、先進国のアパレル店で回収された洋服は、主に3つのパターンで活用されています。

ひとつめは素材に分解してアップサイクルされるパターン、そして次に燃やして熱エネルギーとしてリサイクルされるパターン、最後にそのままの形で必要な地域に寄付されるパターン。

新井 多くの方は寄付という意識で回収ボックスに洋服を入れていますよね。

銅冶 恐らくそうでしょう。

しかし、年間23万tともいわれる洋服が日本から海外に運ばれている中、ことガーナにおいては届いた洋服の40〜45%は海に埋め立てられていたり、ごみの山に積まれているのです。

これは紛れもない現実です。つまり、人々の生活の向上には繋がっておらず、日本で処理するはずだったごみをアフリカに送って現地のごみにしているだけなのです。

銅冶 そういった流れを最後まで追えている方は、ほぼいないと思うのです。

これは現場を見ないとわからないことも多いので、仕方のない部分もあります。

しかし、本当に現地のためになっているかを把握できていないのに「自分たちは良いことをしている」と安易に思いこんでしまっている先進国の意識は問題だと感じます。

新井 少し話がずれてしまうかもしれませんが、そういった先進国の勘違いとか、搾取のようなものを現地で体感することはありますか。

銅冶 近年、アフリカへの企業の進出とか、アフリカに関するソーシャルビジネスといった話を聞くことが多くなりました。

ただ、現地の求めるゴールと先進国が目指すゴールとで少なからずギャップがあると感じます。

本来なら、現地にお金を落とし、雇用を増やし、自分たちでお金を生み出し経済成長ができるようなビジネスモデルを植えつけていくことが大事だと思うのです。

新井 それが本来のあるべき姿ですよね。

銅冶 しかし、先進国の都合で自分たちのビジネスモデルを押し付け、ただアフリカの人々を動かしているだけというケースが非常に多い。

数字を作ることはもちろん大事ですが、そういった地域の文化・人種・在り方への尊重を忘れてしまうと、格差がそこに生まれるだけなのです。

実際に、そういった先進国の取り組みから恩恵を受けている人は、全体の10%程ではないでしょうか。

先進国が関わることでGDPが上がり物価も上昇していく中、ガーナの人々のおよそ80%はいまだに日雇いで生きており、その人達の生活は何も変わらず苦しいままです。

これは、先進国側がビジネスを作る上で、もう一度考えなおさなければいけない問題だと思います。

地道な教育が文化を創る

新井 先進国が与えている影響の大きさとは別に、途上国ゆえの課題もあると聞きます。

現地での生活の中で感じるごみについての問題を教えてください。

銅冶 そもそも、「ごみを捨てる」「ごみを回収する」「ごみを減らす」、こういった日本では当然の概念自体がないことが問題だと感じます。

その背景にある最も大きな理由が、教育がされていないことです。

我々は親や学校からの教育を通して「ちゃんと捨てましょう」「分別しましょう」と教わってきていますが、そういった教育はアフリカに一切ありません。

だから飲んだ水の容器をポイ捨てすることは当たり前、それに違和感もなければ罪悪感もない。

そういったゴミが道・川・湖などありとあらゆる場所にそのまま落ちているのが現状で、ごみ箱を設置しても誰もそこに捨てようとしませんし、ごみを回収する業者も車も、一部の富裕層の住むエリア以外は存在しません。

新井 実は、かつては日本もそれに近い状況だったらしいのですが、古紙業界が中心となって積極的にリサイクル教育を広めたという事実があります。

国産原料としての「古紙」を回収したいと考えた業界の人々が、小学校への出前授業を繰り返し、長期的・草の根的に教育した結果、今や日本は世界でも有数の分別大国になったと言われています。

だから、20年も30年もかけて教育していく覚悟は必要なのかもしれません。

銅冶 その話を聞くと、教育の行き届いていなかった当時の日本に、仮に現代の日本の手法をそのまま持っていっても浸透はしなかったかもしれませんね。

これまでに先進国が経験してきた教育から始まるプロセス全体を輸出した方が、今のアフリカの状況に合っており現地のためになるのかな、と感じます。

新井 ちなみに、教育には行政の力も重要だと思うのですが、何も動かないのですか?

銅冶 まさにそこも問題なのですが、行政が考える「教育」の優先順位は極めて低いのです。

ガーナには一応「義務教育」という言葉はあるのですが義務でも何でもなく、学校に行けない子供たちで溢れかえっています。

行政の優先順位は国ごとに全く違って当然とはいえ、問題意識を持たなければそもそも変わりようがなく、本当に難しい問題だと思います。

余談ですが、行政サイドにとっていかに教育の優先順位が低いかを示す話があります。

日本と同様に、ガーナでも選挙の際には立候補者が演説して支持を求めるのですが、その際の殺し文句が「学校を建てる」です。

それを聞いた聴衆は歓声を上げて喜び、実際に当選に繋がることも多いのですが、ガーナに学校は増えておらず、代わりに学校を建設する着手段階の基盤だけがどんどん増えていくのです。

公約を最後まで果たそうとはせず、途中でやめてしまうわけです。

つまり、民衆から本当に求められている「教育」は、行政側の人たちにとっては選挙で当選するためのパフォーマンスでしかないのです。

新井 銅冶さんはご自身でもアフリカで学校経営に携わっていると聞きましたが、そこではごみに関することも教えたりしているのですか?

銅冶 はい。まだ最初のステップで、「決まったところにごみを捨てよう」と教えている段階です。

とはいえ、我々が分別を教え実行したからといって、国全体が分別を全く必要としない現状では無意味なことになってしまうためとてもジレンマを感じます。

だから、これが子供たちの生活を激変させるきっかけになるのかと問われると、まだ結論は出ていないというのが事実です。

ですが、学校の敷地内にゴミを残さない、ゴミは同じ場所に捨てようという意識作りに地道に取り組んできた結果、生徒たちの考え方は確実に変わってきています。

先ほどの話にもあった通り、そういった草の根的な活動を続けることが、まずは重要だと考えています。

先進国の無知が途上国を苦しめる

新井 これからアフリカのごみ問題を解決していくためには何が必要だと思われますか?

銅冶 関わる全ての人々に「自分ごと化」してもらうことが重要です。

まず、先進国側の話からさせてもらうと、現場の真実を「知る」ということが、当事者意識を育む一歩めになると思います。

だから、自分たちの出しているゴミが、どういう流れでどこへ向かい、どう処分されているのか、途上国に対してどのような影響をもたらしてしまっているのかを知らなければなりません。

例えば先ほどの洋服の話も、ゴミ同様に扱っていたものでも「寄付」と位置付けることで先進国に住む方々は気持ちを清算してしまっている。

「寄付になるのであればいいじゃん」とゴミ同様のものを送ってしまう。

新井 それが現地のごみを増やしていると知らなければ、良しとしてしまいますよね。

銅冶 そうです。知ることにより自分たち都合での気持ちの清算は減り、適切な自分ごと化に繋がると思うのです。

また、それ以外にも、例えば「新品のTシャツを1万枚集めて寄付しよう」というプロジェクトがあったとします。

それを送ったら、その瞬間は当然喜ばれるでしょうし、一見良いことのように思われます。

しかしその一方、現地でTシャツを1万枚売っている人たちが仕事を失っており、物資の寄付が結果的に現地産業の成長を押さえつけることに繋がっている側面もあるのです。

新井 確かに、先進国側が何も知らない状態では途上国に本質的なサポートはできませんね。

一過性の自己満足にならないためにも先進国側が正しい情報を持つことは必要だと感じました。

少し違う切り口の話になるのですが、そもそも発展途上国に不要になった物資を送らなければ自分たちの国がごみであふれてしまう、このような先進国側の状況も根本的な問題の1つではないかと感じます。

つまり、途上国への輸出をせずに先進国側で処理できる術が必要であり、そうすると大量生産・大量消費の構造自体にメスを入れなければなりません。

国内で完結させるために、「無駄に作らない」「無駄に買わない」、このような流れにシフトしていくべきだと思います。

銅冶 アフリカに進出してきてうまくいっている企業にも大量生産・大量消費の考えは根深く蔓延っており、作って、売って、買ってもらってそこで終わり、の状態です。

そういう意味ではESGといった新しい倫理的な評価指標が生まれてきているのは途上国にとっても大きな支えですね。

SDGs的な観点で社会に対して何かを還元できている企業が評価される時代になることは、途上国が変わっていく一助になると思います。

先進国の物差しで臨んではいけない

新井 一方で、途上国側はどうしていくべきだとお考えですか?

銅冶 これはまさに先程お伝えした通り、本質的には「教育」に尽きると思います。

しかし、生きる上での判断基準を変えるような教育を根付かせていくためには本当に時間かかり、大きなハードルが伴います。

だから、早期にごみ問題に対応していくためのワクチンとしては、やはり「インセンティブ」が大事だと考えています。

綺麗ごとは一旦置いておき一刻も早く劣悪な環境から人々を引き上げるためには、ごみに絡んだアクションに対して、お金というインセンティブを与え生活の糧になると感じてもらわないといけません。

例えば、回収してきたごみに対してお金を提供する、それを加工する人にお金を提供する。

それらの積み重ねが特に途上国においてはとても有効だと感じています。

新井 おっしゃる通りですね。もともと日本もアメリカも同じようなところから始まってはいると思います。

ただ、その頃の日本と今のアフリカの違いは、先進国から大量の物資が送られてきてしまう点です。

送られてくるごみが生活の糧をつくっているわけなので、それがなくなってしまったら現地の仕事がなくなってしまうのでしょうか。

銅冶 そうかもしれません。

ただ、冒頭で話題に上がったごみ山のそばで暮らしている人々の平均寿命が30代という事実を念頭におくと、今の仕事をそのまま続けることが必ずしも良いこととは思えないのです。

何より、そのような環境では未来のある子どもたちはライフモデルを持つことができず、選択肢は一向に増えていきません。

そのような新しい世界を思い描ける環境を提供できていない状態で、他の何を提供しても本質的ではないと感じます。

新井 そういった意味では、何かをあげる・してあげるという感覚ではなく、現地の人たちが夢を持って自立できるようサポートしないといけませんね。

銅冶 その時にとても大切なことが、とにかく先進国の物差しで現地の問題解決に臨んではいけないということです。

例えば児童労働と聞くと、多くの先進国の方々は眉をひそめると思うのです。

しかし、そうしなければ家族が、自分が、食べていけない中ではそうすることが彼らにとっては正しいことであり、否定も肯定もすべきことではないのです。

全く同じ目線に立つことはできないかもしれませんが、いかに彼らの物差しで考え自立を促せるか、それが大事だと思います。

新井 ありがとうございます。

教育、雇用、その他すべて、何をするにもまず現地を知り、自分たちの当事者意識を高め、その上で何が必要なのかを考えることが大切ですね。

「アフリカのゴミ問題」というと、テレビなどで見ているときは「駄目だ」「まずいな」と思いつつも、どこかで少し違う世界の出来事という感覚でした。

しかし、今回の話を通して以前より自分ごと化できたように思います。

銅冶 遠い国の話ではなく、実はものすごく影響を与えている我々と隣り合わせの話なのです。

それを少しでも理解してもらえたら、とても嬉しいですね。