小さなパン屋が起こした大きな革命とは?発酵が繋ぐ地域内循環が町を変える

「パンを作れば作るほど、地域社会と環境が良くなっていく」。

パン作りと地域社会や環境がどう繫がっていくの?と疑問に思われる方も多いでしょう。

森の豊かな鳥取県智頭町にある「タルマーリー」は、野生の菌を自家培養し発酵させてパンを作り、地元の天然水のみを使い野生酵母でビールを醸すブルワリー&カフェ。

地ビールやパンに使う小麦を作ることによって、畑の土が良くなり、農薬の使用量も減る。環境に負担をかけない作物を作れば、里山が保全されて、環境がより良くなる。そうして地下水が綺麗になれば、パンやビールもさらに良い発酵をする。「タルマーリー」は、そんなプラスのサイクルが、地域の人々を巻き込んで地域全体が豊かになっていく未来を思い描いています。

今回は、食によって人と環境が向上していく世界を目指す「タルマーリー」の活動をご紹介します。

すべての理想を叶えてくれる土地との出会い

(画像:タルマーリーHPより)

鳥取県南東部に位置する、面積の93%を森林が占める緑豊かな町、智頭(ちづ)町。この美しい町の里山の一角に、かつて保育園だった建物を改装したブルワリー&カフェ「タルマーリー」があります。

ここで作られているのは、野生の菌だけで発酵させるクラフトビールと、自家製酵母と国産小麦だけで発酵させるパン。遠方からも多くのファンが訪れる人気店です。

始まりはオーナーシェフと女将との出会いから

製法と素材にこだわり抜いた希少な地ビールとパンを、なぜこの土地で作り始めたのか?

その答えは、オーナーシェフの渡邉格(わたなべいたる)さんが、女将の麻里子さんとお互いの出身地である東京で出会ったことなのだそう。

もともと田舎で暮らしたいという漠然とした想いを抱えた格さんは、麻里子さんと出会うまでは環境問題にそれほど関心はなかったといいます。しかし大学で環境社会学を学んだ麻里子さんには、「環境に負荷を与えない食べ物、自分の子供に食べさせたいものを田舎で作りたい」という確固たる想いがありました。

格さんも徐々にその想いに共感するようになり、それと同時に野生の菌だけでパンを作ることによって無肥料無農薬栽培の素材が一番良く発酵することがわかってきたのだそう。そこで、夫婦は「野生の菌による発酵を起点としたエコロジカルな『地域内循環』を実現する」という考えに一致していきました。

2度の移転で理想に近づく

二人は2008年2月に、千葉県いすみ市でパン屋をオープン。その後、2011年の東日本大震災と原発事故をきっかけに、岡山県真庭市に移転しました。これは単なる移住ではなく、パン作りに使う野生の麴(こうじ)菌の採取を実現するという目標を見据えての移転だったそう。

そして2015年6月には鳥取県智頭(ちづ)町に移転。

岡山では麹菌の採取はできたものの、子供の教育の問題やスペースの問題、地ビールや地域内循環型の生産への思いから、移転を決めたといいます。それらすべてを叶えてくれる智頭(ちづ)町で、夫婦の新たな挑戦が始まりました。

野生の菌を工房に呼び込む

(画像:タルマーリーHPより)

タルマーリーのパンは、純粋培養菌(菌を工業利用するため、発酵に適した性質を持った個体を選別し、人工的に培養した菌のこと)を一切使用せず、酵母(イースト)も麹菌も乳酸菌も、野生の菌を自家培養して発酵させています。

野生の菌で作るパンの最大の魅力は、小麦粉、塩、酵母、水というシンプルな材料だけであっても、酵母や製法によって食感や味わいが変わってくること。タルマーリーでは酒種、レーズン酵母、ルヴァン、ビール酵母の4種類を使い分けています。

野生の菌で奥深い香りと味わいと生み出す

量産品に多く使われるイースト菌は、パン作りに適した酵母を人工的に培養したもの。環境や素材に影響を受けにくく、比較的簡単に発酵させることができます。

一方、天然酵母は空気中に漂う多種多様な菌を増殖させたもの。その分、素材や環境によって発酵具合に違いが出ることはもちろん、最悪の場合、生地を腐敗させてしまうこともあります。

リスクがあっても、野生の菌には個性があり多様性があるからこそ、野生の菌で作ったパンには奥深い香りがある…菌の奥深さを知った格さんは独立後、野生の菌のみを使ったパン作りに挑戦します。

発酵の不思議

(画像:麹菌 タルマーリーHPより)

タルマーリーの発酵は、周囲の豊かな自然環境によって育まれた天然酵母=野生の菌を工房の中に「呼び込む」ことによって行われます。タルマーリーでは『麴(こうじ)菌』『乳酸菌』『酵母菌』の3つを採取していますが、不思議と『麴(こうじ)菌』だけは、環境が汚れていると腐敗菌が一緒に降りてきてしまうのだそう。つまり、周辺の環境が汚れていると、純粋な『麴(こうじ)菌』が降りてきにくくなるということです。

格さんが特にのめり込んだ酒種作りには麹菌が必要ですが、麹菌を空気中から採取するパン屋は日本でもここだけでしょう。

竹を切って半分に割り、ふかしたお米を置いて待つという実にシンプルな方法で、環境中の『麴(こうじ)菌』を工房内に呼び込みます。ですが、自然豊かな智頭(ちづ)町の環境であっても、5日に1度程度の頻度で行って、3ヵ月に1度しか成功しないという難易度。更に環境が荒れたりスタッフの精神状態が悪くなったりすると、他のカビが生えてしまうといいます。

環境のみならず、スタッフの体調まで影響するという繊細な麹菌。しかし、苦労の末作られた酒種を用いたパンは、糀の香りがふんわりと香り、もちもちふわふわとした食感で天然酵母パンの常識を覆す美味しさです。

自然栽培ならうまくいくと麹菌が教えてくれた

酒種を作るために野生の麹菌の自家採取を始めると、素材の栽培方法が発酵に表れるということがわかってきました。

素材として有機栽培米を使った時は、乳酸菌がつくと米が悪臭を放ったのだそう。そこで、自然栽培米を使ってみると、米は甘酸っぱく爽やかな香りを醸し、見事に乳酸発酵。(酒種作りには麹菌と乳酸菌が重要な要素。麹菌は米の糖を小さくしていくが、この小さな糖が乳酸菌や酵母菌のエサとなって酒種を育てる)

有機栽培米と自然栽培米の違いは、肥料にあると格さんは予想します。「動物性堆肥を使用した有機栽培米は細胞がメタボになっているため腐敗しやすく、野性的に育った自然栽培米は細胞が緻密で腐りにくいのではないか。」つまり、森の落ち葉と同じように、野生的に育った素材なら腐らずに発酵するということではないか。菌の声に耳を傾けることで、納得のいく理想的な酒種を作ることに成功しました。

菌の声に耳を済ませたら町に変化が生まれた

(画像:タルマーリーHPより)

タルマーリーが智頭町に移転した当初は、町内には自然栽培に取り組む農家はいませんでした。しかし、町役場がタルマーリーの「地域内循環」という目標に賛同し、自然栽培の普及活動を始めたことにより、今ではパンに使う米や小麦、ライ麦の自然栽培に挑戦する農家が出てきました。さらに野菜や、ビールに使うホップの自然栽培に取り組む農家も現れ、地域内で作物とお金が緩やかに循環し始めたのです。

ビール事業を立ち上げた理由

(画像:タルマーリーHPより)

格さんが地ビールを作り始めた理由はとてもシンプル。「パンの酵母として地ビールを使いたかった」から。地ビールの酵母でパン生地を仕込み、カフェでピザを焼く。ピザ窯(がま)の熱源は木材ペレット。ビールを作る工程で出るビールかすは地元の牛の肥育農家に飼料として活用してもらい、自然栽培の作物はタルマーリーが全量買い取る。『地域内循環』の理想が少しずつゆっくりと巡り始めました。

すべてが地域内をぐるぐる回る地域内循環を目指して

(画像:タルマーリーHPより)

二人の目的は、単なる地産地消ではありません。野生の菌による発酵を実現できる地域の自然環境と生産体制を整えていくことが、タルマーリーの目指す地域内循環なのです。

きれいな水や空気は健全な森が生み出し、自然栽培の農地では生態系が保全される。農家の方が丹精込めて育てた作物を使って、多くの人手と手間をかけて、野生の菌と共にパンを作る。作物は正当な価格で買い入れ、パンとビールは正しく高く売る。

ここで大切なのは、利潤を追い求めないことです。利潤を追い求めることは、循環を止めることに繫がります。

生態系が保たれた健全で美しい自然、その自然が育む作物、そこに関わる人々の暮らしやお金。すべてが地域内でぐるぐる循環し、町全体を豊かにする。食によって人と環境が向上していく世界を、「タルマーリー」は目指します。

小さなパン屋の革命が町を変える

(画像:タルマーリーHPより)

一風変わったパン屋の出現で変わり始めた町。町の人たちの心を動かしたのは、二人の情熱と人柄、そして何よりも二人が醸す美味しいパンやビールであることに違いありません。

ここでしか作ることができないパンとビールで、町全体にプラスのサイクルを生み出す。一見別々のものに思えることも、小さな地域の中で繫がってプラスの効果を生み出し、地域全体が活性化していく。タルマーリーは、これからの食に関わる店の在り方の一つの理想形と言えるのではないでしょうか?